寺日記

セミの老春!?

2009 年 08月 06日

今日の坐禅会は暑かった!

セミの声のシャワーを浴びながらの坐禅は、夏の坐禅の醍醐味です。ついでに、背中を流れる汗は、まるでシャワーを浴びたようです。

6時からの坐禅会ですから、坐り始めは今日の最後とばかり、セミたちの大合唱。7時の坐禅が終わる頃には、セミの声は嘘のように聞こえません。では、静寂かというと、逆に車の音なんかが耳について、さっきまでセミが鳴いていたときの方が静かだったように思えます。

ところで、セミは寿命が短いといいます。それは地上での生活時間のことで、地中には10年(6年~17年)もいるそうです。10年前に生まれた卵が、今ようやく成虫になって鳴いているわけです。10年前と言えば、庭を整備したりしたのがようやく落ち着いてきた頃です。ということは、私が圓福寺に来て植木を増やしたり、コンクリートをはがして庭を造ったりした、その成果の一つとして、今日鳴いていたセミがいたと思うと、いとおしく感じられます。

セミは地上に出てきてから、2週間ほどでその命を終えます。卵から数えると、およそ3600日のうちの14日が地上の生活です。これを人間に換算してみると、平均寿命を83年とすると、わずか4ヶ月ぐらいです。この4カ月の間鳴き通しに鳴き、交尾をして子孫を残しているわけです。そう考えると、地上に出てきたセミたちはみんな高齢者。私たちがその鳴き声を耳にしているセミの社会は、超高齢化社会です。その高齢者たちが元気いっぱい鳴いているということになります。青春ならぬ「老春」を謳歌しています。

これから年をとっていく私たちも、セミに負けずに元気いっぱいな高齢者にならなければと励まされるような気がしました。

そういえば、坐禅会の参加者も、四国あるき遍路も定年退職組が多いですね。

8月6日

(C) 2020 臨済宗妙心寺派 大廣山 圓福寺