寺日記
遍路を物見遊山にしたテレビ
2008 年 12月 28日
昨日、お葬式から帰ってきて、正月支度を始める前にお茶を一服。なにか面白そうなテレビ番組でもあるかなとリモコンをチャンネルをいじっていました。年末の夕方は、テレビ番組のエアポッケットで、再放送やら正月番組の宣伝をする番組ぐらいしかないようでした。ふと目に止まったのが四国遍路をしている街道てくてく旅という番組。忙中閑有り、少し見てから仕事をしようと思って、見ました。
行く先々で地元の人の歓迎を受け、お接待を過ぎたいただき物をたくさんもらい、・・・、「これは遍路ではない!」と思ってしまいました。本当に歩いているのであれば、背中のリュックがペシャンコなはずもありません。一応札所ではお経を読みますが、あの道中の物見遊山を見たら、お経なんか読まなくてもいいんじゃないの、金剛杖なんていう遍路の格好をすることもないんじゃないの、と思ってしまいました。
どんな歩き方をしようと構いませんが、あれを見て四国遍路は楽しそう、物見遊山や行く先々で地元の人は歓待してくれるんだなどと思わせるような番組作りは、公共放送としてはどうかと思いました。
以前、うちのお寺のあるき遍路での宿の手配をしたときのこと、20名もの団体が止まってくれるというので、先方の宿の方も嬉しそうでした。どんな団体ですかと聞かれて、「歩いて遍路をさせてもらっています。」といった途端、「お遍路さんはお断りです。」といわれたことがありました。宿のご主人曰く、「お大師さんにかこつけて、その上に胡坐をかいているようなお遍路さんは、お断りなんです。」私たちは決してそのような団体ではありません、と何度も言って、説明してもダメでした。しかたなく他所の宿に止めていただくことになったことがあります。この宿のご主人はお大師さんを大切にされている方でした。それに対して、遍路だったら大事にしてくれるだろう、遍路だったら多めに見てくれるだろう、遍路だったら多少無理を聞いてくれるだろう、と謙虚な気持ちを持たないお遍路さんも増えているに違いありません。
四国遍路は「同行二人」といわれるように、「行」なのです、「修行」なのです。それを行く先々で歓待を受け、お接待をいただき、観光気分で歩かれては困るのです。スペインのサンチャゴへの巡礼者は、ホタテの貝殻とひょうたんを持っていなければ巡礼と認めないのだそうです。そして、歩きか自転車でないとこれまた巡礼と認めないそうです。臨済宗の僧侶は、「托鉢免許証」を持ち歩いて、修行僧である証しとしています。
そろそろ四国のお遍路さんも、物見遊山なのか、本当のお遍路さんなのか、きちんと区別しなければいけない時期が来ているのかもしれません。いまはブームで、たくさんの人が四国を訪れ、それなりの経済効果も大きいと思いますが、本当のお遍路さんを大切にする気持ちがなくなったら、物見遊山のにわか遍路たちやバスの団体遍路も足を向けなくなる恐れがあります。それは四国にとっても大きな痛手となるでしょう。
私たちも、歩いて二巡目の遍路だとか、もう慣れたから、などという慢心を捨てて、三月の遍路はあらためて敬虔な気持ちで歩こうと思いました。
12月28日