禅語に
「一粒粟中に世界を蔵す」
という言葉があります。
一粒の粟であっても、
その粟になるためにはたくさんの
ご縁があってようやく成り立っているものです。
粟の畑が無ければできませんし、
太陽が無ければ育ちません、
水が無ければ育ちません、
人の手が無ければ育ちません、
精製する人の力がなければ有りません、
このように様々な環境や、
人の手によってようやく一粒の粟となります。
そのように考えると一粒の粟の中には
太陽や水や人だけでなく、
もっと広い意味で、世界全体という情報が
詰まっていると考えられます。
それが「一粒粟中に世界を蔵す」という言葉です。
普段、何気なく食べる食事の一口一口にも
もちろん世界全体が入っていることになります。
お彼岸やお施餓鬼で用意する
けんちん汁にも。
注意深く見ると、
食材の中には広大な世界が広がっています。
合掌