圓福寺日記

釈宗演老師の大幅の掛け軸

2021 年 02月 05日

 二月になって、書院床の間の掛け軸を掛け替えました。

 釈宗演老師ご染筆の

 「泉聲中夜後

  山色夕陽時」

 泉聲中夜の後、山色夕陽の時(せんせいちゅうやののち、さんしょくゆうひのとき)とお読みしますが、中夜は、夜を三等分した真ん中で、午後十時から午前二時ぐらいをいいます。

「中夜の後」なので、夜から朝になる静謐の中で聞く泉が湧き出る音が一番良い。また、夕陽を帯びた山の色が最もよい、という意味です。

 新型コロナの緊急事態宣言を受けて、毎週木曜日の坐禅会は休会中ですが、私は毎週木曜日の午後六時からは、いつも通り本堂で坐禅をしています。

 六時近くまで幼稚園の課外教室に来た子どもたちの声が聞こえていますが、子どもたちも家路につき、お寺の前を通る車が途絶えたときのなんとも言えない静寂は、山寺なら泉がわく音さえ聞こえてくるようです。

 残念ながら、泉聲もせせらぎの音も聞こえてはきませんが、あっという間の一時間が過ぎていきます。

 火事で焼け出された後も、市原別院で坐禅会を継続することができました。緑が多く、さぞ気持ちよく坐禅ができるかと思いきや、春にはカエルの大合唱、夏には蝉の大合唱、秋には渡り鳥たちの声の競演と、よっぽど町場の圓福寺よりにぎやかでした。雨の降り初めには、木々の高いところの葉っぱに雨粒があたる音で雨が降ってくることを知りました。カエルの合唱はいつ果てるともなく、坐禅会中もにぎやかですが、夏の蝉は暗くなるとうそのようにピタッと鳴きやみ、その後の静寂はここちよいものでした。

 夏の坐禅会は背中に西日を思いっきり浴びての坐禅となり、「山色夕陽時」とはいかず暑かった思いがあります。逆に冬場は、窓からの冷気で一時間歯を食いしばっての坐禅もありました。

 なかなか「泉聲中夜の後、山色夕陽の時」とは、環境も整いませんが、こころがそのような境地に達するようにと坐っていきたいものです。

 

(C) 2020 臨済宗妙心寺派 大廣山 圓福寺